昨日、義父の四九日の法要が無事に終わりほっとしています。
今日から締切りを延ばしていただいた現代農業の連載の最終回を
書くつもりです。
担当の若い女性の担当者は当初から「農家も努力すれば自分のブランドをやれると
希望が持てるようなスタンスで書いて欲しい」とお願いされていました。
そのお気持ちもわからないではないのですが、努力さえすればできるかと
楽天的に書くのも欺瞞だと思うと最終回を前にメールで気持ちを伝えました。
何回もブログでも書いていますが、自分のブランドを持つということは
自分の生き方を製品に投影させることだと私は考えています。
連載ではその象徴として
① 自分で営業して自分の製品に一番ふさわしい販路を持つこと
② パッケージやパンフレットなどデザインのセンスを問われるものにも
できる限り自分のセンスを反映させる
ということを書いています。(①は今月号で詳しく触れています)
読者の皆さんが不快に思われたら申訳ありませんが、12年間小さなブランドと
格闘して思うのは
「農家が自分のブランドを製造~営業まで手がけて継続させてゆくことは
これまでの農家には教養や学問は不要という古い価値観を打破すること」ということです。私は役人の娘で大卒のOLとして働いた後結婚してこの仕事を
していますが、企業のOL時代より酪農家のおかみさんの現在の方がきちんと
勉強をしてよかったと思うことが多々あります。
主人も相当な数のチーズの文献を持っていますが、時には英語オンリーのものや
細かい法律や規則を参照することもありますが一応の翻訳も自分でやれることは
本当に楽です。またデザインはセンスの合うイラストレーターに依頼して
きましたが、自分なりの美意識の基準は持っているつもりです。

私のとりえは東大に入るほどの頭脳はなくても、芸術的感受性が豊かな
ことだと思っています。
この絵は一番好きなラファエッロの「小椅子のマドンナ」ですが
たとえ素人の趣味レベルでもラファエッロが好きとか歌麿が好きなど
自分なりの美の基準を持たずしてデザインまで手がけることは難しく
デザイン事務所に高額ギャラでの丸投げになってしまいます。
編集者の手前、あからさまな表現では連載では書きませんが
自分の手でブランドを手がけたいなら、大学に行く行かないは別として
趣味はパチンコだけなどという人生ではなく自分で読み書き芸術など
美しいものに貪欲に触れて人としての教養は積んでいただきたいし
私自身も今後もそうありたいと願っています。
決して教養自慢をしているわけではありませんが
不快な表現がありましたらお詫び申し上げます。
スポンサーサイト