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長く愛されるために
ベーベ工房をスタートさせて10年が経ちました。
現在、私たちが望むことは「少しでも長く続けるためにどうするか」ということです。

定番のものは食べ物でもファッションでも長く続く、といわれます。
つまり長く続かせるためには、いかに消費者に定番商品というイメージを持っていただく
かが鍵になると思います。

10年持てば優秀、と言われるほど商品の交代が激しい現在。
1996年発行のフード関係の雑誌が手元にあったのでページを開いてみると、当時売られ
ていたペットボトル入りの清涼飲料で現在も販売されているのは、爽健美茶だけでした。
そのような中でヨーグルトとチーズ2種類で最低でもあと20年は愛される製品を世に出したい、
と思う私たちには牛を健康に飼い、安全でおいしい製品を作るという基本をベースにデザイン、
製品の提案の方法、はてはこちらの価値観にいたるまであらゆることに英知が求められて
います。

さしあたっての予定はもうすぐ打ち合わせをして印刷予定のチーズのレシプブック。
お客様に長く手元に置いていただけるようなデザインのものにすべく思案中です。

長く続いているチョコレートなどでも良く見ると「変わらないようで微妙に変えている」からこそ
50年以上も支持されているのがわかります。このような製品を手に取ることは本当に勉強に
なっています。
まるでクラシック音楽や古典バレエみたいですね。

私もベーベ工房をスタートさせたときはアマチュアの初々しさや情熱を前面に出せば営業も
乗り切れる部分があったと思います。
でももう10年年を重ね、プロになったことや、以前では考えられないほど食の安全に関心が
高まってきていることもあり、冷静で客観的な資料やデータを作り自分では以前よりあえて
感情面は抑制された形での営業をしております。
気が遠くなるような日々と思いますが、人生を賭けて努力したいと思います。


昔、大原麗子さんが出ていたお酒のCMのコピーが「少し愛して、長く愛して」でした。
その気持ちがよくわかります。(笑)

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何かを惜しんだらおいしいものはできない
タイトルの言葉は雑誌「クウネル」最新号に掲載された、私の尊敬する料理研究家
ホルトハウス房子さんの言葉です。
ホルトハウス先生は現在、人気の料理研究家たちの先生の世代で、アメリカ人のご主人
を持ち、正統な西洋の家庭料理をたぐいまれなレシピによって伝えてこられた偉大な
料理研究家です。

私は彼女が「セカンドライン」と呼ぶ普段の家庭料理の大ファンで
1998年発行のレシピ本をボロボロになるまで愛用しています。

彼女はクウネルのインタビューに答え
「手をかけて作り出すことで生まれる心地よいおいしさ、さわやかなおいしさと言うものがある」
という素晴らしい言葉を仰っています。

その言葉は私たちがずっと目標にしてきているおいしさを、まさに言い表している言葉で
胸が震えるほど感動しました。

以前にも書きましたが、ベーベ工房のヨーグルトやチーズは脱脂粉乳やクリームなどの
味を調整する成分は一切使用していません。
味を決めるのは牛乳の成分と、作り手である夫の「手」だけです。
それだからこそ牛の健康管理も、牧草やトウモロコシの管理も一切手抜きもごまかしも
ききません。正直言って脱脂粉乳でヨーグルトの成分を調整できたらどんなに楽か、と
思ったこともあります。


それだけにホルトハウス先生の言葉を読んで、今まで素材のみでおいしい製品を作って
きた苦労が報われる思いでした。
またこれからもそうあればよいのだ、と励まされたような気持ちでした。


追記

クウネルに掲載された彼女のハンバーグがメインデッシュの「ごはん」は盛り付けも
季節感も栄養バランスも普段使いのレシピながら家庭料理を極めた感のあるものでした。
家庭料理の玄人の料理と違う気位、というものに圧倒されています。


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高い望みを持って
もうすぐベーベ工房をスタートさせてから11年目を迎えます。
今でこそ、名実ともに「高級スーパー」と言われるお店にお取り扱いをいただいておりますが
1998年4月にスタートしたときは地元の農産物直売所に出荷することしか販売ルートのことは
知りませんでした。
それどころか無謀なことに「どのような店にどのような形でどのくらいの量を扱ってもらうか」
というビジョンすら明白ではないままのスタートだったのです。

1年目は直売所と近所の方の注文で趣味程度の製造量でした。
その年の秋、牛の共進会(コンテスト)会場で併せて行われる畜産フェスタは一般の方々も
見学にくるので会場でヨーグルトを売りました。でも現在のように食の安全に関心のある時代
ではなく、売れるのは大手の安い乳製品ばかり。ベーベ工房のヨーグルトは知り合いの
酪農家の数人が義理で買ってくださっただけでした。

さすがに能天気な私でも惨憺たるありさまに
   「東京など富裕層が多く、食に関心の高い人の多い地域でなければやっていけないかも」
 と初めて真剣に将来のことを考えました。

その後の営業の方針とその結果については、3月3日の日記に書いてある通りです。

今思えばおこがましかったと思いますが、その頃もし扱っていただきたい
お店の名前を挙げたら、一笑に付されたであろういわゆる「高級スーパー」に扱って
いただける製品を作りたい、という一心で頑張ってきました。
味や食感、安全性、そしてデザインなども一流店に並べて恥ずかしくないレベルのものを
作るべく二人で努力しました。

食品の安全性や作り手のモラルに消費者の関心が高まってきたことも追い風になりました。
お陰さまで紆余曲折もありましたが、憧れていたお店とご縁も多数持てるようになったことは
本当に幸せだと思います。

初期の頃、たとえ人がなんと言っても自分たちの目標を高く設定したことは本当に良かったと
今になって思います。努力する習慣もついたし、センスも磨かれたと思います。

私は「高い目標を掲げて馬鹿にされるところからのスタート」にはすでに経験が
ありました。(笑)
それは高校の時。


私の通った高校はお世辞にも進学校とも言えない公立高校でした。
勉強熱心な友人が代ゼミの現役クラスに通った時、進学校に通う受講生に志望大学を聞かれ
「立教大学」と答えたら何人かに爆笑された、という伝説(?)すらあります。
そんな高校に通う生徒が東大は論外としても早稲田.慶応.明治.青山学院あたりを口に出しても
失笑を買うだけでした。
そんな中なんとか六大学に行くだけの努力をできたことは、ベーベ工房の仕事に大いに役に
立ちました。やっぱり目標は実現可能な範囲で高く持つべきです。

老後(?)の目標はスコーンに塗るおいしいクロテッドクリームをおしゃれな容器に入れて
出すことです。
ホテルの優雅なアフタヌーン・ティー御用達の品を作ること。
それが遠い目標です。
アダージェット...........アルマへの恋文
マーラーの交響曲第5番の4楽章「アダージェット」。
ヴィスコンティ監督の名画「ベニスに死す」やローラン・プチのバレエ「バラの死」に用いられた
音楽、といえば、と思い出される方も多いのではないでしょうか。
最近はクラシックのオムニバス集にも入っていることの多いマーラーの代表作です。


この曲は40才のマーラーが妻になる当時22才のアルマに捧げた「恋文」と言われています。
アルマ・マーラー(1879~1964)はマーラーの妻としてまたその音楽・絵画などの才能
そして華麗な男性遍歴で知られるファム・ファタル(運命の女)として有名です。

有名な画家の両親の元に生まれたアルマは作曲を学び、両親のサロンで花形となります。
まだ10代でありながら作曲の恩師や「接吻」などの名画で名高いクリムトと恋仲に。

20才近く年上の有名な作曲家グスタフ・マーラーもアルマの両親のサロンでアルマと出会い
激しい恋をします。22才のアルマは今で言う「できちゃった婚」で40才のマーラーの妻に。
マーラーがアルマにもう作曲をするなと言ったことや、年齢差、長女の夭折などもあり
夫婦仲には隙間風が。アルマは有名な建築家グロピウス(マーラーの死後再婚)
と不倫をしたり、マーラーは心を病み有名なフロイトの診療を受けたりと大変な苦悩をします。
それでも数々の名曲を残しマーラーは1911年に死去。

アルマは不倫相手のグロピウスと再婚して離婚。その後も有名なオペラ研究家と再々婚
したり、画家kココシュカと恋愛をして彼に代表作を描かせたり.......。ため息の出るような
華麗な遍歴を繰り返します。
晩年はアメリカに亡命。やはり亡命組のための芸術サロンを主宰し、有名な作曲家
ストラヴィンスキーなどのパトロンとして名を馳せて長い人生を生きました。

書いていてため息が出るようなアルマの人生です。確かに恋多き女で悪女かもしれません。
でも夫のマーラーを始め彼女と関わった男たちの綺羅星のごとくの顔ぶれ!
アルマの才能や感性があってのものでしょう。
ある評論家は彼女の事を「何かをかきたてずにはおかない女性」と表現しています。
渡辺淳一の小説のヒロインがしみったれてみえるくらいのスケールだな。(笑)


アルマのために書かれたといういきさつを知って「アダージェット」を聞くとさまざまな
芸術家の創造意欲をかきたてるというこの曲の魅力を改めて感じます。
いえ、感じる、というより魅入られそうで。

モーツァルトやショパンの美と全く違う官能的で退廃的な美。
淫靡さすら感じさせる美。
アルマの悪魔的魅力の凄みは曲から伝わってきます。
苦しみに満ちた結婚だったとしてもマーラーは男として本望だったと思います。






オネーギン
ロシアの文豪プーシキンの小説「オネーギン」です。

有名な物語ですがあらすじを書くと、ニヒルで自己中心な青年オネーギンは、田舎の夢見がち
で感受性豊かな少女タチアナの恋をすげなく拒否します。
タチアナの妹オリガにちょっかいを出したオネーギンはオリガの婚約者で親友のレンスキー
に決闘を申し込まれ、レンスキーを殺してしまいます。
自分の犯した罪の大きさに耐えかねたオネーギンは長い旅に出ます。
何年か後モスクワの公爵家の舞踏会に招かれたオネーギンは、公爵夫人ととなった
タチアナに再会。かつて歯牙にもかけなかった小娘は優雅にあでやかに成長していました。
オネーギンはタチアナに思いを打ち明けるのですが、タチアナはオネーギンのことを今も
忘れられないながらも、妻である自分の立場をわきまえオネーギン
の思いを拒絶する。という物語です。

私はこの有名な物語をクランコ振付のバレエで観て等身大の主人公に共感しました。

古い翻訳本だとオネーギンがタチアナに拒絶されるラストをまるで因果応報的な解釈に
たっているものもありますが、最近では思いを残しながらも毅然と自分の今の人生を
選ぶタチアナに焦点をあてている解釈も増えました。私は後者が好きです。

ある年令になって読むと微笑ましく不器用な若き日の自分を、オネーギンやタチアナに重ねて
読む人も多いのではないでしょうか。

私も40代になり、家族、仕事と抱えるものが増えました。
それだけにハッピーエンドの恋物語よりもこの「オネーギン」や「椿姫」などままならない
恋の物語に心を惹かれます。

そういえば映画「ローマの休日」でグレコリー・ペック扮する記者がアン王女とのかなうことの
ない恋を思って「人生はままならぬもの」と最後つぶやきますね。
ままならぬもの、ほど人生に深く刻印を刻んでゆくのかもしれません。
イザベッラ・デステ
酪農とベーベ工房のことばかり書くと、どうも優等生の文章になってしまうので
今日は大好きな女性のことを。

イザベッラ・デステと聞いてすぐピンとくるのは塩野七生ファンが多いと思います。
塩野さんのデビュー作「ルネサンスの女たち」の中のヒロインの一人です。
イザベッラ・デステ(1474~1539)はルネサンス期のイタリアに生きたマントヴァ侯爵夫人です。
王妃などの肩書きではないのでマリア・テレジア女帝ほどの知名度はありませんが、
イタリアルネサンス期を代表する才媛です。
レオナルド・ダ・ヴィンチも下書きですが彼女の肖像画を残しています。

彼女は嫁いだマントヴァ公国を守るのに全力を尽くしました。
芸術の保護以外彼女がやったことはそれだけなのですが、登場人物のスケール、それを
向こうに回しての彼女の外交手腕、そして手紙などで残る彼女の極めて女性らしい性格が
イザベッラを歴史に残る女性にしました。

イザベッラの夫、マントヴァ侯爵フランチェスコ・コンザーガが1509年から1年間ヴェネチア
共和国の捕虜になるという事件が起こります。夫の釈放をローマ法王やイタリア各国に打診
しながら夫の不在のマントヴァを見事に守り、独立を死守するという見事な手腕も見せます。
この事件の最中、あまりにも妻の見事な手腕を耳にした夫は捕虜の身というストレスもあり
「妻は自分が国を治めるのが楽しくて俺のことはもうどうでもいいと思ってるんだろう」
というヘタレ男丸出しの手紙を出したりしているのが、笑えます。

私がイザベッラを好きなのは「才女なのに時として感情むきだし」の良くも悪くも女らしい
性格にとても親近感を覚えるから。傑作な手紙も沢山残っています。
例えば自分の肖像画を描いて欲しいとヴェネチアの画家ベッリーニに前金まで渡したのに
無視されると、怒り心頭で「これ以上遅れたらヴェネチアの元首にいいつける」と手紙を
書き、ようやく書いてもらったり。(笑)

若死にした妹はミラノの権力者に嫁いで豪華なドレスを買ってもらい贅沢三昧。
さほど豊かでないマントヴァに嫁いだイザベッラは妹に闘志むき出しで
デザインに凝ったドレスを集めたり。(笑)

私が「ルネサンスの女たち」を初めて読んだのは17歳の高校生の時。
あの頃は歴史上の女性のことを書いた本はみないわゆる偉人伝ばかり。
そんな中、塩野七生さんのこの作品は個性の際立つものでした。

イザベッラの章に俄然惹きつけられたのは結婚してから。
つまりベーベ工房をスタートさせて自分の家を、仕事を、守らなければならない
責任を負うようになってからです。
イザベッラが書斎に掲げていたモットーは「夢もなく怖れもなく」
冷静で現実を直視できる目の持ち主でした。
イザベッラのように優雅にしたたかに、ときに女性そのもので、という人生に憧れます。
私は一生テレビで放映されるような「年商○億の女社長」なるものに
憧れることはないでしょう。

イザベッラは息子がマントヴァ公国を継ぐのを見届けて65歳で亡くなりました。
息子はイザベッラの友人からイザベッラの晩年このような手紙を受け取ります。

  素晴らしい母上をお持ちです。イザベッラ・デステは我々の時代でもっとも賢く幸せな
  女性でした

 女冥利につきますね。
プロフィール

けい

Author:けい
①群馬県でホルスタイン50頭、ジャージー牛5頭を飼養する家族経営の酪農家マダムです。

②1998年からベーベ工房というブランドでヨーグルトとモッツァレラチーズ及びリコッタチーズをハンドメイドで製造しています。安全でおいしい製品を誠実に作ることを信条としています。

③土作り、飼料作り~製品作りまで一貫して製造しています。

ベーベ工房も13周年を迎える事ができました。牛のこと、チーズのことなど日々のささやかな出来事を綴っていきたいと思っています。

ブログのスタンスですが、酪農とチーズのこと以外の、管理人の
趣味のことも書いてあります。なお記事の無断転載やコピーなどは
ご遠慮くださいますようお願い致します。

製品に関するお問い合わせは以下のアドレスにお願いします。

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